東京地方裁判所 昭和55年(ワ)3565号 判決 1984年5月08日
原告
和久井高吉
原告
和久井コト
右両名訴訟代理人
川島仟太郎
被告
向島廸
被告
小林洋
右両名訴訟代理人
高田利廣
小海正勝
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告両名は、各自原告和久井高吉に対し金二五五一万八二三五円及び内金二二五一万八二三五円については昭和五四年七月一七日から、内金三〇〇万円については本判決確定の日の翌日から各支払ずみに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。
2 被告両名は、各自原告和久井コトに対し金二一〇一万八二三五円及びこれに対する昭和五四年七月一七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告和久井高吉(以下原告高吉という。)及び同和久井コト(以下原告コトという。)は、昭和五四年七月一九日死亡した訴外和久井伸一(以下亡伸一という。)の両親である。
(二) 被告向島廸(以下被告向島という。)は、肩書地においてベッド数八六床の収容施設を有する大同病院を経営する医師で、同病院の管理者であつて、同病院は内科、外科、整形外科のほか脳神経外科をも診療科目としており、東京都消防庁指定の救急病院である。
(三) 被告小林洋(以下被告小林という。)は、被告向島の指揮監督のもとに右大同病院に勤務している勤務医師であり、本件当夜当直していたものであつて、その専門は心臓外科である。
2 亡伸一の死亡に至る経緯
(一) 亡伸一は、昭和五四年七月当時早稲田大学大学院修士課程二年在学中であつたが、同年七月一七日午後七時ころ同級生四名とともに国電高田馬場駅前のビアホール「ニューアサヒ」に入り、大ジョッキ一杯及び小ジョッキ約半分のビールを飲み終えたところで、同日午後八時四〇分ころ小用のため便所に入り小用中、同所にて転倒し頭部を強打し、一時意識消失し同所にておう吐をした。
(二) 直ちに救急車の出勤が要請され、亡伸一は新宿消防救急隊により同日午後八時五二分ころ大同病院一階診察室に搬入され、当時宿直であつた勤務医被告小林の診察を受けた。その際亡伸一及びこれに同行した友人の訴外高野らは、それまでの経過を被告小林に説明した。なお、亡伸一は右救急車にて輸送中一回、大同病院到着直後二回おう吐をした。
(三) 同日午後九時一五分ころ原告高吉が、その約一〇分後に原告コトがそれぞれ大同病院に到着し、同席した友人らからそれまでの経過を聞くとともに、被告小林に対し頭を打つているので頭の診断をしてほしい旨繰返し求めたところ、被告小林は亡伸一の病名は急性アルコール中毒であると診断し、このまま寝れば明朝は元気になると述べ、特に頭部につきレントゲン撮影するなど慎重な診察をすることはなく宿直室にもどつた。当夜の亡伸一の飲酒量は、約一三一七CC(ビール大ビン約二本分相当)であつて、転倒時における亡伸一の血中アルコール濃度は亡伸一の体重五八キログラムから計算すると約0.1パーセントであり、これは分類上軽度酩酊にあたり、通常ほろ酔気分といわれる程度であり、病的なものではなかつた。
(四) 同日午後一一時二〇分ころ、亡伸一はうわ言を言い、異常体動が激しくなり、尿失禁をするなど明らかに神経学的所見において異常が認められたが、特に適切な処置は行なわれなかつた。
(五) 同年七月一八日午前一時過ぎに亡伸一は体温が約四二度と高熱となり、且つ急に起き出し気違いのように暴れ出すなど異常体動、意識障害が発現したので、原告らは、看護婦を通じて医者を呼び、これは頭を打つたのが原因ではないかと再度その診察を求めたところ、被告小林はこのときも「急性アルコール中毒の症状はこういうものである。明日の朝になるとケロッとしている。」と述べそのまま帰つた。
(六) 同日午前二時四〇分ころ、亡伸一の体温は依然として高温が続き、更に呼吸が不整となり(努力呼吸)意識消失状態となり、同日午前三時三〇分ころ被告小林が来室し、同人は亡伸一の瞳孔をみるや、「これは危険だ、早く冷やさねばならぬ、氷を持つてきてくれ。」とあわてて述べ、ダイヤアイスで亡伸一の体を冷やしはじめた。
(七) その直後被告向島も駆けつけ診察したところ、瞳孔が左右不同であり、明らかに脳に異常が認められ、同人は原告らに対して、「すぐに脳外科の手術が必要です。非常に危険な病状であり、助かる場合は稀であるから、親威縁者、学校関係に知らせてほしい。」と告げ、原告らは一瞬ぼう然としてしまつた。
(八) 直ちに脳手術のため転医の準備がなされ、同日午前四時四一分ころ再び救急車(新宿消防署落合出張所救急隊)にて転医先である旗の台病院(品川区旗の台所在)へ向い、同日午前五時一五分ころ到着後直ちに頭部の手術が始まり、同手術は午前九時五〇分ころ終了した。
その結果亡伸一は、①頭蓋骨骨折(左前頭部から左側部)、②硬膜外出血、③硬膜下出血及び④脳内血腫を伴う脳挫傷が認められた。手術を執刀した旗の台病院長沖野医師は、手術は成功したが命が助かるかどうかは時間の経過をみなければならぬと述べた。
(九) その後亡伸一は、昏睡状態が続き、そのまま意識が回復することなく翌日である同年七月一九日午後六時一八分ころ脳内血腫、脳挫傷、硬膜外及び硬膜下出血、頭蓋骨骨折が原因で死亡するに至つた。
3 被告らの責任
(一) 被告小林の過失
被告小林は、本件診療開始時において亡伸一が転倒し頭部を強打した旨告げられ、そのような場合往々にして頭蓋骨骨折、または頭蓋内出血が発生し、一刻も早い手術が必要となるところから、被告小林としては最良の方法と細心の注意をもつて頭蓋骨骨折あるいは頭蓋内出血の有無を診断すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、以下のとおりの過失により、亡伸一を急性アルコール中毒であると誤診し、結局頭蓋骨骨折、脳内出血等について早期に発見することが出来なかつた等の業務上の注意義務違反がある。
(1) 初診時における誤診
頭部外傷においては、頭の打ち方・対象物の材質・衝突の力の強さ等によつては頭部に外傷はなくとも非開放性の頭蓋内出血があることは常識的なことであり、従つて頭部打撲の患者については、医師は初診時において頭蓋内出血の可能性のある打撲であるか否かを判断するために十分な問診を行うとともに、その疑いがあるときは適切な検査ないし処置を行うべき注意義務を負つているというべきである。本件において被告小林は、初診時において亡伸一が後頭部打撲を受けていることを告げられているのであるから、亡伸一もしくは同人の転倒の際現場に居合わせた友人の訴外高野からその打撲の態様について詳しく事情を聞き、もつて頭蓋内出血の可能性のある打撲であつたか否かを診断すべきところ、被告小林のこの点についての問診は全く不十分であつた。更に被告小林は、亡伸一について頭蓋内出血を疑いX線撮影もしくは髄液検査を行うべきであるのにこれを怠つている。
一方、亡伸一の当夜の飲酒量はビール大ビン約二本分相当であるところ、これにより亡伸一のアルコールの血中濃度を計算すると約0.11パーセントとなり、ごく軽い軽度酩酊であり、現に亡伸一は入院時においてアルコール臭はあるものの診察開始前に住所、氏名、年齢等を述べ、被告小林の問診に対しても正常に応答していたのであるから、本件の場合亡伸一について急性アルコール中毒なる診断を下すことはできないのである。
このように被告小林は、亡伸一が早稲田大学の学生であり、ビヤホールで飲酒中倒れたという外形的事実によりこれを急性アルコール中毒と速断し、頭蓋内出血の可能性を軽視して不十分な問診しか行なわず、更に必要なX線撮影等の処置を怠つた結果、亡伸一について急性アルコール中毒との誤つた診断を下したものである。
(2) 経過観察中の注意義務違反
被告小林が頭蓋内出血の可能性も考えて経過観察のために亡伸一を入院させたものとしても、そのような場合には、頭部打撲による経過観察なのであるから、医師としては亡伸一の意識状態の変更やヴァイタルサイン(血圧、脈拍、呼吸数、体温など生命に直結するサイン)の経過等を一定時間普通は三〇分ごとに観察すべき注意義務を負つているものというべきである。しかるに被告小林は、七月一七日午後九時三〇分ころ初診を終え、その後七月一八日午前一時三〇分ころと同日午前三時三〇分ころに回診を行つているのであり、この四時間二時間という時間的間隔による経過観察はあまりに杜撰である。また被告小林は、右経過観察中一切ヴァイタルサインをとらず、頭蓋内出血の有無についても多種多様の診断方法が存在しているのにかなり進行した段階の頭蓋内出血しか診断できない瞳孔検査、光反射検査しか行つていない。被告小林が感覚検査やドロッピングテスト等一二神経系統についての総合的な検査を行ない、それとヴァイタルサインを慎重に検査していれば、七月一七日午後一一時二〇分以前に十分頭蓋内出血を発見しえたはずである。
(3) 投薬の誤り
被告小林は、亡伸一に対しハルトマンG3、キシリッド、ルシドリール、ニコリン、フエノバール等の薬品を投与しているが、これらの薬品はむしろ頭蓋内出血を促進し、あるいは脳腫張、脳浮腫を助長する作用を有するものであつて、右投薬により亡伸一の頭蓋内出血の量は増大し、脳圧抗進も時間的に早まり、治療目的とは逆の結果をもたらしている。
(4) 頭蓋内出血の診断の遅延
亡伸一は、七月一七日午後一一時二〇分ころうわ言を言い、異状体動が激しく、尿失禁をするという状態であり、また同月一八日午前一時三〇分ころには約四二度の高熱となり異常体動、意識障害が発現している。急性アルコール中毒の場合時間の経過とともに体温は下降し、意識状態は良好となつていくところ、亡伸一の場合右のとおりむしろ逆の症状を呈していたことからみて、被告小林の七月一七日午後一一時二〇分以降の急性アルコール中毒との診断は、明らかに誤診である。
(二) 被告向島の責任
被告向島は、被告小林の使用者として、同人が事業の執行につき生ぜしめた損害を賠償する責任がある。
4 因果関係
亡伸一の本件受傷においては、頭蓋内出血とはいえ意識の清明期が存在しており、その意識があるうちに適切な処置がなされていればその救命率は相当高いことが医学上明らかにされているところからみて、本件において亡伸一の頭蓋内出血が早期に発見され早期に血腫除去手術がなされたとしたら亡伸一の救命の可能性は相当高かつたものというべく、従つて被告らの過失と亡伸一の死亡との間には相当因果関係がある。
5 損害<以下、省略>
理由
一請求原因1の(二)・(三)の各事実(被告らの地位)はいずれも当事者間に争いがなく、原告両名の各本人尋問の結果によれば同1の(一)の事実(原告らの地位)を認めることができる。
二そこで、まず亡伸一の症状及び診療の経過について判断する。
請求原因2の事実中、亡伸一が昭和五四年七月一七日同級生とともにビアホール「ニューアサヒ」でビールを飲み小用のため便所に入り小用中同所にて転倒し頭部を強打したこと、亡伸一が救急車で大同病院に搬入され被告小林の診察を受けたこと、右到着後亡伸一が二回おう吐したこと、被告小林がそれまでの経過につき説明を受けたこと、その後原告らが大同病院に来院したこと、被告小林が亡伸一の頭部のX線撮影をすることなく宿直室にもどつたこと、同日午後一一時二〇分ころ亡伸一がうわ言を言い異常体動が激しくなり尿失禁をしたこと、同月一八日午前一時過ぎに亡伸一は体温が四二度となり急に起き出し気違いのように暴れ出すなどの異常体動が発現したこと、請求原因2の(六)・(七)の各事実(同日午前三時ころの瞳孔不同の発見)、亡伸一が脳手術の必要のため救急車で転送され同日午前五時一五分ころ転医先である旗の台病院に到着したこと、亡伸一が同年七月一九日死亡したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。
1 亡伸一は、昭和五四年七月当時早稲田大学大学院理工学研究科に在学し建築工学を専攻する二三歳の学生であつた。同年七月一七日亡伸一は数人の友人とともに国電高田馬場駅前のビアホールで飲酒し、大ジョッキ一杯及び小ジョッキ約半分のビールを飲んで同日午後八時三〇分ころ小用に立つた際、トイレで転倒して後頭部を打撲し一時意識不明となつた。直ちに救急車が呼ばれ、亡伸一は右救急車で同日午後八時五〇分過ぎに付近に所在する大同病院に搬送された。搬送されるころの亡伸一の状況は、意識及び呼吸は正常に戻り、脈は早くおう吐があり、外傷はないが後頭部に豆粒大の血腫があるというものであつた。
2 大同病院に到着した亡伸一は、同日午後九時ころ同病院外来診察室において当夜の当直医であつた被告小林の診察を受けた。被告小林はその際、救急車に同乗してきた亡伸一の友人から亡伸一がビアホールで小用中に倒れ後頭部を打撲したこと及び当夜の亡伸一の飲酒量について聞き、更に救急隊員から亡伸一がビアホールで酔つてタイルの上に倒れた旨告げられている。その後被告小林が亡伸一を診察したところ、意識はあるがやや清明を欠き、血圧は最高一六〇最低七〇、脈拍九六、瞳孔左右差はなく、対光反射は敏速で神経学的所見としては特記すべきことはなく、麻痺・異常神経反射・頭部外傷所見ともになく、アルコール臭の強い状態であつた。なお、右診察の際亡伸一は、食物残し様のものを多量におう吐する一方、被告小林に自己の既往症について述べるとともにコンタクトレンズをはずしていいかと尋ねて自らこれをはずし、また入院の知らせを受けて同日午後九時一五分ころ大同病院に到着した父親である原告高吉とも会話を交している。また亡伸一の普段の飲酒量はビール二本くらいであつた。以上の診察の結果から被告小林は、亡伸一について急性アルコール中毒、頭部外傷と診断し、経過視察のため入院させることとした。あわせて被告小林は、翌日亡伸一の頭部及び腹部のX線撮影をすべき旨を診療録に記載するとともに、水分等の補給液であるハルトマソG三号五〇〇ミリリットル及びビタミン剤(サブビタン)、肝庇護剤(タチオン及び強力ミノファーゲンC)、消化性潰瘍防止剤(セルリール)、制吐作用を有する薬剤(ブリンペラン)の投与を指示し、これが実施された。この際被告小林は髄液検査を実施していない。このころ亡伸一は悪寒を訴え、胃液様のもの少量をおう吐している。
3 その後被告小林は、前記投薬に続けて糖質補給剤であるキシリット五〇〇ミリリットル及び前記同様のサブダビン、タチオン、強力ミノファーゲンC、セルリール、ブリンペランのほか脳代謝賦活剤(ニコリン及びルシドリール各二五〇ミリグラム)と抗生物質(セファメジン)の投与を指示し、更にその後ハルトマンG三号五〇〇ミリリットル及び前記同様のサブビタン、タチオン、強力ミノファーゲンC、セルリール、ブリンペラン、ニコリン(二五〇ミリグラム)、ルシドリール(二五〇ミリグラム)、セファメジンの投与を指示し、いずれも実施された。
4 同日午後一一時二〇分ころ亡伸一は、悪寒が強度となつてガタガタ震え、「早くしろ。時間がない。」などとうわ言をいうようになつたので、当直の看護婦が呼ばれたが、同人は特段の検査・処置をすることなく退室し、被告小林に亡伸一の状況を報告したにとどまつた。
5 その翌日である昭和五四年七月一八日午前一時三〇分ころ、亡伸一は突然ベッド上で上半身を起こし両手で泳ぐような格好をしたため点滴が自然抜去となり更に尿失禁をしたので、被告小林が呼ばれた。原告ら及び看護婦が亡伸一の着ていたシャツとパンツを脱がせようとしたところ、同人はガタガタ震え手足が硬く突つ張つた状態で自由がきかなかつたので、ハサミでシャツとパンツを切り開いて脱がせたうえ、同人の頭、胴体、足を持つて隣のベッドに移した。被告小林は、亡伸一について点滴のため静脈確保をして導尿したうえで再度診察したところ、呼びかけに対して声は出さないがうなずくような動作をなしたので意識状態については応答ありと判断し、おう吐はなく、瞳孔の左右差はなく、対光反射は敏速で、運動障害の有無について特段の検査をしたわけではないが外見上顔面等に麻痺の徴候は見られなかつた。以上から被告小林は、神経学的異常所見はないものと判断し、一〇パーセントフェノバール五〇ミリグラムを筋注したうえ宿直室にもどつた。なお、初診時より後この時までの間、亡伸一について体温、血圧、脈拍、呼吸等のバイタルサインと呼ばれる諸点についての検査はなされていない。
6 その後亡伸一は、しばらく震えていたが、そのうちに震えが止まり静かになつた。同日午前三時ころになると亡伸一は、多量の発汗を生じ発熱もあつたので、被告小林が呼ばれて亡伸一を診察したところ、努力性呼吸をして高熱を呈し、心音が微弱となり、脈拍は一一四で、血圧は七八以下と非常に低くなつており、瞳孔を観察したところ顕著な左右差(左が右よりも大)を生じていたので、被告小林は亡伸一について頭蓋内占拠性病変の徴候があり緊急処置を要するものと診断し、直ちに亡伸一の体を氷で冷やすとともに、抗ショック作用・抗浮腫作用を有する副腎皮質ホルモン剤であるソルコーテフ二五〇ミリグラムを二本管注した。このころ亡伸一はうなるような大きないびきをかいている。更に同日午前三時三〇分ころには、被告小林は亡伸一に対し、気管内挿管して呼吸器にのせ、ソルコーテフ二五〇〇ミリグラムのほか昇圧剤(カルニゲン及びボスミン)及び抗生物質(バニマイシン)を投与した。この間被告小林の連絡を受けた向島祐医師及び島本悦次医師が、原告高吉に対し、亡伸一は非常に危険な状態で助かる場合はまれである旨を告げた。また、このころ同医師らが救急医療センターに電話で転医方を要請したが全て断られたため、被告小林が脳神経外科専門医で旗の台脳神経外科を経営する沖野光彦医師に転医についての承諾を求め、沖野医師もこれを了承した。その後前記処置により亡伸一の血圧も一二〇前後まで上昇してきたので、被告小林ら医師は、同日午前四時四一分ころ亡伸一を救急車で気管内挿管による呼吸管理のもとに、医師同伴で右旗の台神経外科に転医させた。
7 亡伸一は、転医先である旗の台脳神経外科に昭和五四年七月一八日午前五時二〇分ころ到着した後、同病院の院長である沖野光彦医師の診察を受けた。沖野医師が亡伸一の頭部のCT(コンピュータX線断層撮影装置)スキャン像をとつてみたところ、左の頭蓋内にレンズ型の硬膜外もしくは硬膜下血腫が、左前頭葉に限局された脳内血腫が見出され、脳の中心部の構造が左から右に偏位していることが明らかになつた。続いて脳血管撮影の後に頭蓋単純X線撮影をしたところ、頭蓋骨穹隆部の左側面を全長に横走する長さ一五ないし一八センチメートルの骨折が発見された。また、このころ被告小林が沖野医師に亡伸一のそれまでの経過について説明しているが、その際被告小林は亡伸一が一八日午前一時ころせん妄状態になつた旨述べている。沖野医師は、亡伸一が昏睡状態の重症頭部外傷患者でありかつ人工蘇生をしながら運ぶような悪条件下ではあつたが、患者である亡伸一の若さに期待して開頭手術適応と判断し、同日午前七時五〇分から九時二五分にわたり亡伸一に開頭手術を実施した。その結果、亡伸一の左側頭部から約二〇ミリリットルの急性硬膜外血腫(甲第二四号証に硬膜下血とあるのは、同書面の記載及び証人沖野光彦の証言に照らし硬膜外血腫の誤記と推認される。)が発見されたのでこれを除去し、次に硬膜を開いてみたところ厚さの薄い急性硬膜下血腫が左側頭葉に見出されたのでこれも除去した。亡伸一の左頭蓋内に存在した硬膜外及び硬膜下血腫の量は合計で三〇ないし五〇ミリリットル程度と判断された。更に左前頭部に存する脳内血腫に脳室穿刺針を挿入してみたが血腫は吸引されなかつた。なお、手術中に動脈からの出血は特に認められなかつた。その後、人工硬膜により硬膜形成術を行い骨片を除去することにより減圧が図られた。右手術により亡伸一の呼吸状態は改善され人工蘇生器をはずすことができたが、意識レベルは改善されず、瞳孔も散大したままで推移し、翌日である昭和五四年七月一九日午後六時一八分ころ亡伸一は死亡した。
8 亡伸一の死因は、開頭手術によつて一旦は血腫が除去され頭蓋内の減圧もなされたにもかかわらず、脳内血腫を伴う脳挫創に時間とともに脳浮腫が加わつた結果、再び頭蓋内圧が亢進して脳ヘルニアの状態に陥つたことによるものと推定される。
9 亡伸一が当初入院した大同病院は、内科、外科、整形外科のほか脳神経外科をも標ぼうするベッド数八六床を有する病院であり、X線装置は持つているがCTは設置されておらず、また脳神経外科専門医も常勤していない。被告小林は、亡伸一の入院当時東京女子医科大学循環器外科に勤務していた医師であり、大同病院には昭和五三年一二月ころから毎週火曜日の午後六時から翌朝八時過ぎまでいわゆるアルバイトの当直医として勤務していたものである。亡伸一が入院した昭和五四年七月一七日夜には、午後六時に切り傷の患者が一人、午後九時以降には亡伸一のほか胃の調子の悪い患者一人、重症の裂傷患者一人、と酒に酔い路上に倒れて救急車で運ばれてきた老人一人があり、翌一八日朝には大腿骨複雑骨折の患者が一人来院したという状況であつた。
以上の事実を認めることができる。甲第二五号証(旗の台病院看護記録)中には亡伸一が一七日午後一〇時三〇分ころ意識もうろう状態になつた旨の記載が存するが、右事実を直接体験したはずの原告高吉及び被告小林の供述からは右のような事情は窺えず、また甲第一、二号証(大同病院の診療録及び看護記録)にもそのような記載がなされていないことに照らし信用することができず、被告らは被告小林が二番目の点滴液であるキシリットとともにソルコーテフ一〇〇〇ミリグラムを亡伸一に投与した旨主張し被告小林の供述及び甲第一号証の三(被告小林の投薬指示)の記載はこれに副うが、看護婦の投薬記録(甲第一号証の五)には右投与の記載がなく、保険の点数計算(甲第一号証の三)にも計上されていないことからして、右投薬剤が現実に亡伸一に投与されたか否か疑問を入れる余地があるものといわざるをえない。甲第二号証(大同病院の看護記録)には、亡伸一につき一七日午後一一時二〇分ベッド上起座となり点滴自然抜去、尿失禁(+)、フェノバール筋注との記載が存するが、原告高吉の亡伸一がベッド上で起き上り尿失禁したのは一八日午前一時三〇分ころのことである旨の供述及びこれと符合する甲第一号証の二(診療録)の記載及び被告小林の供述に照らし信用することができず、また同じく甲第二号証中には亡伸一が一八日午前一時三〇分に熱感強度、発汗多量となつた旨及び体温四二度になつた旨の記載が存するが、原告高吉の亡伸一が多量の汗を出し高熱を発するようになつたのは一八日午前三時の前ころである旨の供述及びこれと符合する被告小林の供述並びに右体温の記載が一旦34.2度と書かれたうえ抹消されて四二度と記載されていることに照らすと、果して一八日午前一時三〇分に亡伸一の体温が測定されたか、仮に測定されたとしても正確に測定されているかどうか疑問であるといわざるをえない。(なお右のうち亡伸一が一七日午前一一時二〇分ころ尿失禁したとの事実及び同人が一八日午前一時三〇分ころ体温四二度となつたとの事実については当事者間に争いがないが、右はいずれも間接事実についての自白であるので当裁判所を拘束しないものというべきである。)被告小林の供述中には亡伸一のバイタルサインを一八日午前三時ころまでの間に少なくとも二回はとつていると思うしそれについて異常がないと聞いている趣旨の部分が存するが、甲第一、二号証には右の点について、甲第二号証中の一八日午前一時三〇分体温四二度との記載が存することを除き(右記載を信用しがたいことは前述したとおりである。)何らの記載もなされていないことに照らしにわかに措信しがたい。被告らは、一八日午前一時三〇分ころ亡伸一には病的反射や運動麻痺等はなかつた旨主張し、甲第一号証の二の記載はこれに副うが、被告小林及び原告高吉の各供述に照らし被告小林が右の際に病的反射や運動麻痺の有無について必要な検査をなしたか否か疑問であるといわなければならない。原告高吉は一八日午前一時三〇分ころ被告小林が亡伸一に呼びかけ亡伸一がこれに応答した事実はない旨供述しているが、被告小林の供述に照らしにわかに措信することができない。
三次に頭部外傷及び急性アルコール中毒の一般的な症状及び治療について検討する。
<書証>、証人沖野光彦の証言及び鑑定の結果を総合すると以下の事実が認められこれを覆すに足りる証拠はない。
1 頭部外傷の症状及び治療
(一) 急性硬膜外血腫の症状
硬膜外血腫とは、頭蓋内に存する硬膜の外側で血管の損傷が起こり頭蓋骨と硬膜の間に血液が貯留した状態をいい、主として中硬膜動脈の破綻によることが多いものとされ、ほとんどの例に頭蓋骨骨折を伴うことが報告されている。受傷後に意識清明期と呼ばれる意識障害のない時期の見られる頻度は、他の頭蓋内血腫に比べて有意の差で高いものとされ(半数以上に見られるといわれている。)、その後血腫が進行して血腫による脳圧迫が起こるに従つて意識障害が発現し、更に頭蓋内圧が亢進してその影響が脳幹部に及ぶに従つて頭痛、はき気、おう吐、血圧上昇、徐脈、片麻痺、病的反射等の症状を呈し、更に頭蓋内圧亢進が進むと側頭葉内側部がテント切痕と呼ばれる頭蓋内の仕切りを越えて脳幹部の方に張り出して脳幹部を圧迫するいわゆる小脳天幕ヘルニアの状態に陥り、高熱を呈し頻脈となるほか瞳孔左右不同、対光反射異常、除脳硬直等の症状を呈し、末期になると両側瞳孔が最大限に散大し、血圧が急速に下降して呼吸も不規則努力性となり間もなく死亡する。硬膜外血腫は、前記のとおり動脈性出血の場合が多いことから、他の腫と比較して症状の進行が急速であるといわれている。
(二) 硬膜下血腫の症状
硬膜下、くも膜外に血液の貯留するものをいい、脳挫傷に伴う出血もしくは橋静脈の破綻等によつて生ずることが多い。意識清明期の頻度は硬膜外血腫より低く、特に脳挫傷を伴う場合は当初から意識障害が持続することが多いものとされている。症状としては、ときに眼底出血やうつ血乳頭が出現することがあることを除けば、硬膜外血腫のそれとほぼ同様の経過をたどる。
(三) 脳挫傷、脳内血腫の症状
外力を受けて脳に損傷を生じ形態的変化を起こしているものを脳挫傷といい、外力を受けた側のほかその反対側の部位にも生じることが多く、側頭葉及び前頭葉にしばしば生じる。またこれにより動・静脈の破綻をきたして脳内血腫や硬膜下血腫を生じることも多い。重篤な脳挫傷特に脳幹部に挫傷を生じた場合は、当初から意識障害、呼吸障害、体温異常等の症状を呈するが、そうでない場合も二次的に脳挫傷に伴う頭蓋内出血に加えて脳腫脹や脳浮腫と呼ばれる脳容積の増大を生じて頭蓋内圧が亢進し、前記と同様脳ヘルニアの状態となつて死亡する場合がある。
なお、動物実験の結果から、人が頭部を打撲した場合に、意識を失う程の衝撃の強さ、頭蓋骨骨折を起こす程の衝撃の強さ、脳挫傷を生ずる程の衝撃の強さは互いにかなり近い値であるものと推定されており、人が立つた位置から抵抗なしに固い地面に倒れるとこの衝撃の強さを越える頭部外傷となつてしまうものとされている。
(四) 診断及び治療
(1) 頭部外傷の疑われる患者に対しては、意識がある場合はまず問診を行つて受傷状況について尋ねるとともにその意識の状態を観察する。来院時意識清明であるか意識障害があつても軽快してくるならば開放性損傷がない限り緊急手術の適応ではなく、経過観察すべきものとされている。
(2) 更に頭部及び身体他部の外傷の状態を観察する。これにより皮下出血等が発見された場合は、外力の方向、強さなどを推定できることがある。また人が後頭部を強打した場合は前頭葉及び側頭葉に反衝損傷を生じることが多いとされていることから、頭蓋内の損傷の部位をある程度推定しうる場合もある。
(3) 次に瞳孔を観察し、左右不同の有無、対光反射等を観察する。瞳孔の左右不同及び対光反射の遅鈍化は動眼神経の不全麻痺に由来し、これが次第に深まる意識障害を伴つて発現するときは頭蓋内血腫の最も有力な所見の一つとなる。
(4) 更に、片麻痺(半身麻痺)の有無、腱反射が一側に亢進しているか、バビンスキー反射(足底の外側を引つかくと母趾が足背に屈曲する現象)のような病的反射の有無を確認する。これらの症状も頭蓋内血腫の存在を示唆するものとされている。
(5) 血圧、脈拍、呼吸、体温等のいわゆるバイタルサインの観察も必要であり、これらも前記(一)記載のとおり特徴のある変化をすることから判断資料の一つとなる。
(6) 頭蓋単純X線撮影も来院時に必ず実施すべき検査法でありこれにより頭蓋骨骨折の発見が可能であり、骨折が発見された場合には骨折に随伴する硬膜外血腫等の疾患の存在の可能性を示唆することになるので、意識状態の慎重な観察が必要となる。また頭蓋内血腫の存在が疑われる場合は、血管撮影、超音波診断、CT等により血腫の存在及び位置を確認することとなる。このほかに随液検査も考えられるが、脳圧亢進時の腰椎穿刺は血腫の発生を助長するので特別の場合を除き避けた方がよいものとされている。
(7) 頭蓋内血腫の早期発見の最も有力な手がかりが意識障害であり、しかもそれが進行性に悪化する点に大きな意味があること、また頭蓋内血腫には意識清明期の存するものがあることから、ある時点での意識状態よりも意識レベルの時間的経過を注意深く観察し、同時にバイタルサインも時間を追つてチェックしていく必要があるものとされている。
(8) 硬膜外及び硬膜下血腫の場合はできるだけ早く発見して早期に開頭血腫除去手術をすべきものとされ、脳挫傷、脳内血腫及びこれに続く脳浮腫に対しては、減圧開頭術のほかステロイド剤、脳代謝賦活剤(ルシドリール、ニコリン等)や止血剤を投与し、運動不隠に対してはフェノバール等を投与すべきものとされている。
2 頭部外傷患者の予後
(1) 頭蓋内血腫の患者に対し開頭血腫除去手術を実施した場合の死亡率は、英国における報告(ジャネット及びテイーズデイル)によると、硬膜外血腫単独もしくは硬膜より内側の血腫を伴つている場合にはもし患者が昏睡に陥つていなければ三パーセント、昏睡であれば五三パーセントであり、硬膜より内側の血腫の場合はそれぞれ九パーセント、六三パーセントとされている。また、硬膜下血腫と脳内血腫を合併している患者の手術後の死亡率は全体として五〇パーセント、重症状態で八六パーセントとされており、更に受傷後二四時間以内の手術を必要とした患者の予後は悪く、その死亡率について七三パーセント、六三パーセント、四八パーセントという複数の報告が引用されている。
(二) 一方意見書(甲第四四号証の一)を作成、提出した東京慈恵会医科大学中村紀夫教授の経験によれば、術後の患者の死亡率は、硬膜外単独血腫の場合は意識状態が軽度障害で〇パーセント、中程度障害で四〇パーセント、高度障害で九〇パーセントであり、硬膜下単独血腫ではそれぞれ一九パーセント、六六パーセント、八八パーセントとなつている。
(三) 以上の報告にも見られるとおり、硬膜外血腫の場合は早期に血腫を発見除去することにより予後は良くなるが、これは必ずしも硬膜より内側の血腫にはあてはまらないものといわれている。
3 急性アルコール中毒の症状及び治療
急性アルコール中毒においては体温は低下し、呼吸は浅く緩徐となり頻脈となる。ほとんどの場合数時間から一〇時間前後で自然に酩酊から回復するから放置しておいて差し支えないが、深い酩酊状態の場合は胃洗滌、保温のほか高張ブドウ糖液、強心剤、肝屁護剤、ビタミン剤を投与するなどの処置が必要とされる。また酩酊のうえ転倒して頭部外傷を受ける場合も多く、このような場合にはその後の意識障害がアルコール性のものか頭部外傷性のものかを見分けることが大変重要となるところ、右鑑別に際して血中アルコール濃度の測定が有用であるとの報告がなされている。
四以上認定の事実に基づき大同病院における被告小林の亡伸一に対する診療の適否について判断する。
1 まず被告小林の初診時における診断及び処置の適否について検討する。
(一) 被告小林は、昭和五四年七月一七日午後九時ころ亡伸一を診察した際、同行した亡伸一の友人及び救急隊員から亡伸一が飲酒のうえ小用中タイルの上に倒れて後頭部を打撲した旨及び当夜の亡伸一の飲酒量について聞いている。これらの事情からみて被告小林は、亡伸一について、急性アルコール中毒のほか頭蓋内出血を含む頭部外傷の発生の疑いを懐くべきである。現に被告小林は、亡伸一について瞳孔左右差、対光反射、運動障害等の神経学的所見を観察し、これらに異常な所見の見られないことを確認したうえで、脳挫傷、頭部打撲、急性アルコール中毒との診断を下し診療録にその旨記載している。しかしながら被告小林は、頭部外傷の疑われる患者に対して初診時において実施すべきものとされている頭蓋単純X線撮影を行つていない。もしも被告小林がこれを行なつていたとしたならば、亡伸一の左前頭蓋から左側頭蓋にかけて頭蓋穹隆部を横走する全長一五ないし一八センチメートルの骨折を発見することができたであろう。そして頭蓋骨骨折の存在は、亡伸一の頭部に頭蓋骨骨折を生じさせる程の大きさの外力(鑑定の結果によれば必ずしも小さい力ではない。)が加わつたことを示唆するものであるから、被告小林が右骨折の存在をこの時点で知つていたならば、頭蓋内出血を含む頭部外傷の存在についてより多くの疑いを懐き、その後の亡伸一の意識状態、瞳孔、運動障害等の神経学的所見やバイタルサインについてより慎重な経過観察をなしたものと推測することができる。また、被告小林は、亡伸一の当夜の飲酒量(ビール大ジョッキ一杯及び同小ジョッキ二分の一杯)を聞いているのであるから、比較のために亡伸一もしくは大同病院にかけつけた原告から亡伸一の普段の飲酒量(ビール二本程度)を聞き、これに問診に自ら応答し原告高吉とも会話を交わすという亡伸一の初診時の意識状態(やや清明さを欠くものの意識はある。)をあわせ考慮することにより、急性アルコール中毒よりもむしろ頭部外傷に注意の重点を向けえたであろうから、この点からも亡伸一のその後の経過観察を慎重になすことになつたであろう。
被告小林がX線撮影を翌日に延ばしたのは、夜間のためX線技師が不在であつたということによるもののようである。しかしながら、被告小林はX線撮影の資格を有する医師であり(診療放射線技師及び診療エックス線技師法第二四条)、またX線技師の不在以外に当夜被告小林が亡伸一の頭蓋単純X線撮影を実施することの現実的な障害となるべき事情は主張も立証もされていない(当夜亡伸一が転送されるまでの間に四人の患者が大同病院に来院しているようであるが、これも直ちに右障害にあたるものとは認め難い。)。一方前記認定のとおり、頭蓋単純X線撮影は頭部外傷患者の初診時に実施すべき検査であり、これにより頭蓋骨骨折の存在を認めうることから、その所見ことに骨折が発見された場合はそれ以後の診断、処置にあたつての有力な判断資料たりうるものと考えられるのであるから、頭部外傷患者に対してこれを実施すべき相当の必要性が存するものというべきである。以上の事情に照らせば、夜間でX線技師が不在であつたということは、被告小林が亡伸一に対する頭蓋単純X線撮影の実施を翌朝に延ばすことを正当化する事由とは認め難いものといわざるをえない。
原告らは、被告小林には亡伸一に対する髄液検査を怠つた過失がある旨主張し、鑑定の結果はこれに副うが、前記三の1の(四)の(6)に認定したところによれば髄液検査をしなかつたことをもつて不適切な診療行為とはいえないものと考えられる。
結局、被告小林の初診時の診療行為は、十分な問診を行なわず、また初診時においてなすべきものとされている頭蓋単純X線撮影の実施を怠つた点において、不適切、不十分なものであり、そのために被告小林は、亡伸一について頭部外傷に重点を置いた診断をすべきであるのにこれを怠るに至つたものといわなければならない。
(二) もつとも、被告小林の右不適切な診療行為を、亡伸一の死亡という結果と直接的な因果関係を有する過失ある行為と評価するためには、初診時の亡伸一について、その頭蓋単純X線撮影から認められる頭蓋骨骨折の状態及び意識状態その他の神経学的所見からみて、直ちに脳神経外科専門医への転送を必要とする程の頭部外傷を負つている相当程度の蓋然性が認められることが必要と考えられるところ、前記認定事実に照らし、初診時において右のような判断が可能であつたとは認め難いものといわざるをえない。してみると、被告小林が前記不適切な診療行為にもかかわらず亡伸一について経過観察入院の措置をとつたことは、不適切な行為とはいえず、前記不適切な点はそれ以後の経過観察、診断等の適否を判断するに際してこれを考慮するのが相当であるものと解される。
2 進んで、被告小林の初診時以後の経過観察及び診断の適否について検討する。
被告小林が亡伸一について経過観察入院の措置をとつたことが不適切なものとは認められないことは前述したところであるが、一方亡伸一が後頭部を打撲して左側頭蓋を全長に横走する骨折を受けていること及び同人の当夜の飲酒量、意識状態などからみて、亡伸一について頭蓋内出血を含む頭部外傷の発生を疑うべき相当の根拠があつたものというべきである。このような疾病の疑われる亡伸一の診療にあたる医師として被告小林は、入院後の亡伸一について右疾病を十分念頭に置いて診療にあたるべきであり、具体的には意識状態の変化、瞳孔、運動障害の有無等の神経学的所見及び体温、血圧、脈拍、呼吸等のバイタルサインについて継続的かつ慎重に経過観察をなすべきであつたといわなければならない。しかるに被告小林は、亡伸一について初診時から約四時間が経過した七月一八日午前一時三〇分ころに亡伸一の意識状態及び瞳孔を観察したのみで、瞳孔の左右差が発見される同日午前三時ころまで右以外の必要な経過観察をしておらず、また看護婦をしてこれをなさしめてもいない。当夜の亡伸一の症状の経過をみてみると、一七日午後一一時二〇分ころに悪寒が強度となつてうわ言を言い、一八日午前一時三〇分ころにはベッド上で上半身を起こし両手で泳ぐようなかつこうをするという不穏な行動に出て尿失禁をし手足が硬く突つ張つた状態となつており、同日午前三時ころには震えも止まり静かになり努力性呼吸をして高熱を呈し、初診時九六であつた脈拍が一一四と頻脈となつており、心音は微弱で血圧は非常に低く、顕著な瞳孔左右差が認められるという状態になつているのであるから、前記三の1の(一)ないし(三)でみたところに照せば、亡伸一は一八日午前三時ころにはすでにいわゆる小脳天幕ヘルニアの状態に陥つていたものと推測できる。そうすると亡伸一がそれ以前である同日午前一時三〇分ころには頭蓋内圧亢進が相当程度進み、血圧上昇、徐脈、片麻痺、病的反射等の症状を呈していたと推測することはあながち不自然とはいい難いであろう。従つて、もしも被告小林が亡伸一の神経学的所見及びバイタルサインについて継続的かつ慎重に経過観察していたならば、急性アルコール中毒としては説明できない前記各症状を観察することになつたものと考えられる。
従つてこの時点、即ち七月一八日午前一時三〇分ころの時点において、被告小林は、亡伸一について頭蓋内血腫の発症を疑い、必要な薬剤を投与するとともに確定的な診断及び手術をなしうる設備を有する病院に亡伸一を転送すべきであつたというべきである。しかるに被告小林は必要な経過観察を怠つていたためにこれを見逃し、同日午前三時ころ亡伸一に顕著な瞳孔左右差が現われるまで亡伸一について頭蓋内血腫の発症を疑い必要な措置をとることを怠つていたというのであるから、被告小林の診療行為にはこの意味において不適切なところがあつたものといわざるをえない。
原告らは、遅くとも七月一七日午後一一時二〇分ころには亡伸一について頭蓋内出血の存在を疑うことができた旨主張し、甲第四四号証の一(中村紀夫教授の意見書)の記載はこれに副うが、右主張及び証拠は、いずれも亡伸一が一七日午後一一時二〇分ころべッド上起座となり尿失禁、一八日午前一時三〇分ころ体温四二度との看護記録の記載を前提としたものと認められるところ、右記載の信ぴよう性に疑問があることは前記説示のとおりであり、また前記認定したところによれば、亡伸一は一七日午後一一時二〇分ころには悪寒強度でうわ言を言う程度の症状であり、その後不穏な行動に出る一八日午前一時三〇分ころまでほぼ同様な状態で推移していたものと推認することができるから、亡伸一がアルコールを飲用し酩酊していたこと及び亡伸一の症状の推移からみて、一八日午前一時三〇分ころ以前の段階で亡伸一について頭蓋内血腫を疑うことができたものとはにわかに断じ難いものがあるといわなければならない。もつともこの点については、昭和五四年七月当時の医療水準に照らし、大同病院が脳神経外科を標ぼうする以上CTを設置しておくべきものであつたと認められるならば別異の判断もありうるところと思われるが、本件全証拠によつても右のような事情は認め難いものといわざるをえない。
被告らは、大同病院は第一次の救急病院であり、夜間当直医であつた被告小林は外科医ではあるが脳神経外科とは専門を異にする者であつたこと、及び当夜は亡伸一のほかに五名の患者が来院して当直医はこれに忙殺されていたから、経過観察の点につき診療上の過誤は存しない旨主張している。大同病院は、弁論の全趣旨からいわゆる初期救急医療施設にあたるものと推測されるが、このような施設の役割は、初期の症状の患者を診察し将来重篤な疾病に発展する可能性があるか否かを判断し、治療を行うか後方病院に迅速に転送するかなどの適切な措置を講ずることにあるはずである。しかも頭部外傷にあつては、急性硬膜外血腫の如く急速に症状が進展し、しかも手術時の患者の意識状態によりその予後が大きく左右されるものがあるのであるから、できるだけ早期の発見・手術が必要とされることは前記認定のとおりである。以上の事情に照らすとき、仮に入院患者の経過観察が医師等にとつて多少の負担となるとしても、右負担はいわゆる初期救急医療施設において荷なわれるべきものといわなければならない。また前記認定にかかる頭部外傷患者の諸症状は、外科についての一般的な文献に記載されている程度のものであつて、夜間当直の一般外科医にとつて診断困難なものとはとうてい認め難い。更に当夜の来院患者の点も、五名中一名は亡伸一転送後の患者であり、残り四名にしても果してそのうちの何名が入院しこれに対しどのような治療を必要としたのか、また当夜の医師以外の職員の勤務体制がどのようなものであつたのか等の事情が不明の本件にあつては、直ちに経過観察の懈怠についての前記判断を左右するに足りないものというべきである。
結局被告小林には、初診時において必要な問診及び検査(頭蓋単純X線撮影)を怠り、更に入院措置後になすべき経過観察を怠つたため、一八日午前一時三〇分ころ亡伸一について頭蓋内血腫を疑い必要な転医等の措置をとるべきであつたのにこれをなさず同日午前三時ころまでこれを遅延させた過失があるものといわなければならない。
3 更に、被告小林の亡伸一に対する投薬の適否について判断する。
原告らは、亡伸一に対するハルトマンG三号、キシリット、ニコリン、ルシドリール及びフェノバールの投与は亡伸一の脳内出血を助長し脳浮腫を促したものである旨主張し、鑑定の結果はこれに副うが、甲第二九、三一号証の記載に照らしハルトマンG三号及びキシリットの投与量が頭部外傷の疑われる患者に対する投与量として不適切なものとはにわかにいい難く、またニコリン、ルシドリール、フェノバールについても、甲第二九、三一号証にこれらの薬剤が頭部外傷患者に投与すべきものとしてあげられていることに照らし、右各薬剤の投与が不適切なものとは断定し難いものといわざるをえない。
五そこで、被告小林の右過失と亡伸一の死亡の結果との間の因果関係の存否の点について検討する。
ここでの問題は、被告小林が一八日午前一時三〇分ころに亡伸一について頭蓋内血腫を疑い直ちに転医措置をとり可及的速やかに手術が実施されたものとして、果して亡伸一は救命されえたかということである。
ところで前記認定のとおり、亡伸一は脳挫傷、脳内血腫、硬膜外及び硬膜下血腫という一般的に予後が悪いとされている重傷複合頭蓋内血腫を負つている。また亡伸一は一八日午前三時以前に相当高度の意識障害状態に陥つているものと推認できるので、仮に一八日午前一時三〇分ころに亡伸一の頭蓋内血腫が発見され直ちに転医等の必要な措置が講じられていたとしても、転送及び手術前に必要とされる検査に要する時間を考慮した場合、亡伸一が手術前に高度の意識障害の状態に陥ることは避け難かつたのではないかと推測される。しかして、比較的予後が良好とされている硬膜外血腫においても、手術時に高度の意識障害の状態にある場合の予後は極めて悪いとされており、更に本件においては、一般に救命率が低いといわれている受傷後二四時間以内の開頭手術を余儀なくされることとなる。これに加えて、前記一八日午前一時三〇分ころから約一時間三〇分後である午前三時ころに亡伸一の異常が発見されて、転送のうえ開頭手術が施行されたが、結局亡伸一は死亡するに至つている。
以上の事実に照らせば、亡伸一の異常が発見されるべきであつた一八日午前一時三〇分ころにこれが発見されても、そのころすでに亡伸一は予後の極めて悪い状態での手術が余儀ない状況にあつたものというべく、その救命率は過去の統計数値からみて五〇パーセントをかなり下まわる状態であつたものと推認することができる。してみると、本件においては、必要な措置を怠り亡伸一の頭蓋内血腫の発見を遅延したという被告小林の過失と、亡伸一の死亡の結果との間には因果関係を認めるに足りないものといわざるをえない(もとより右の結論は亡伸一が一八日午前一時三〇分ころ転院の措置を受け手術を受けた場合に亡伸一の救命された可能性の存在を否定するものではない。救命の可能性については本件のごとく午前三時ころ転院措置を受け手術がなされた場合にも何パーセントかの確率により存在していたということができる。しかしながら、現実の問題としては亡伸一は右手術を受けたにもかかわらず意識を回復することなく死亡するに至つたものである。本件においては右手術が一時間三〇分程前に施術されたとしても救命されたと推認しうる証拠はないから右術後死亡した事実と前示の一般的な救命率とを勘案すると、仮に被告小林において一八日午前一時三〇分ころ転院措置をとり手術が施行されたとしても、それにより亡伸一が死を免れたとは推認し難いというほかない。)。
六以上の次第で、原告らの心情は察するに余りあるところであるが、その本訴請求は全て理由がないことに帰するからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(村重慶一 宗宮英俊 藤下健)